The Report by nobi

1999/11月 SAILABILITY オーストラリア訪問の報告


1999/11月 SAILABILITY オーストラリア訪問の報告


OSAKA CUP メルボルン・大阪ダブルハンドヨットレースに出場いらい、いろいろありました。

8月、9月と、グラームさんは私達と一緒に、神戸にとどまり、SAILABILITYの活動を、発進させる事が出来ました。

引き続き10月、カナダから戻ってきた、グラームさんと、共に、東京で過ごしました.。
私達夫婦とグラームさんは、東京を知りませんから、10日間と短かったのですが、大変でした.

しかし、SAILABILITYを、広める運動も、大阪だけでなく、全国にそれこそアクセスできるようになったと、喜んでいます。

日本セーリング連盟・障害者セーリング委員長の清水さんと、話を出来るようになったのは、その大きな成果です。

しかしこの運動が、本当に、オーストラリアで盛んに行われているのだろうか、とか、ほかにどんな問題があるのだろうと言う疑問も自然に出てくる物です。

特に、問題は、ボートを、作っているクリスが、如何言う人物か、判らないことです.。


これから、このプロジェクトを進めるために、如何しても、会わなくては、と考えて、11月4日関西空港から、グラームのいるシドニーに向いました。

二週間の間、セイヤーナラの、ロブドルリーの家に、二日間泊めてもらいましたが、主にグラームさんの家に、泊まっておりました。
写真が有る


最初に向ったのは、シドニーの真中にある、松下興産の素晴らしく大きなビルで、グラームが日本に来る際に、和歌山マリーナシティを、訪ねる様にといってくれた、方に会いに行きました。

素晴らしい景色の事務所で、私達は、和歌山マリーナシティで起こった興奮について、説明する事が出来ました.。

別に、日にちを、あわせた訳では有りませんでしたが、11月5日に国際セーリング連盟の総会が、ありました.。
JASF清水さんと、会う事が出来ました、そして、より幸いなことに、彼は、クリスと、会うことさえできたのです。

清水さんは、アクセス・デンギーの日本での普及に、頑張ると約束しました!!!(クリスが言っておりました.)


私達は、メルボルン市長からの、大阪市長当て親書を、8月の時点で貰っておりました.。その返書と言う形で、大阪市長に、メルボルン市長宛ての、手紙を、書いてもらっておりましたので、それを届ける為に、メルボルンに行く事が出来ました.

私達はシドニーを、朝早く出発しました



サンドリンガムにも、立ち寄る事が出来ました。安全検査をしていたジェリーさんの、驚いた顔を見たのは、大変楽しかった事です。

最年少世界1周をしてきた、高校生を,見る事も出来ました。ボートにたくさんの人が群がっていました


ヴィジョンクエストのスキッパーのヴィンセント・ロウワーにも、会う事が出来ました.。彼は、単独無寄港世界一周を、3周間後に控えており、その準備に、追われているところでした。再び、ヴィジョンクエストで挑戦するのですが、感覚の無い両足でする、セーリングが、どれほど危険な物か、最も良く知っている一人であるグラームは、とても彼の事を、心配しておりました。

船は新たに、風力発電機、ソーラーパネルなど、改良されておりました.。【ヴィニーからのメールです

メルボルンでは、アクセスデンギーの工場の事務所に泊まる事が出来ました.そこで私は、ボートの設計・製作者のクリス・ミッチェルと、話をする事が出来ました.。彼は、ほかのオーストラリア人のような、大きな体をしている訳ではありません。最初に会った彼はやせていて、みすぼらしくなった髪の毛を、クシャクシャにして、ペンキで汚れたぼろぼろのセーターを、作業服にして、吹きつけ作業場から出てきました.本当に静かに、何かを考えているような人でした。そして本当に、やさしい心の持ち主であるのが、良く判りました.。

徹底した菜食主義者の彼は、、一滴の酒も飲みません。
ですから,朝食以外、彼と食事をする事は有りませんでした.
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最初に感じた事は、このボートは、クリスの全て〈命〉を、かけて作り上げた物である、と言う事です.
決して、思いつきで,出来あがった物では有りません.

物静かな彼が、考えている事は、全て、このアクセスデンギーのことです、NOBYと、深く済んだ青い目で私を見ていいました。

「この10年、俺は、全て,この船につぎ込んできた,必死で働いてきても,家も無いし、車でも見ろ、マツダのはハコバンで,それもボロボロだ。」と言って、車のバンパーをけりまし

彼はこの船が広がって行く事に、自分の人生を賭けています。そしてようやく,評価も得て夢が実現しかけているのだと、


英国、カナダ、フランス、アメリカ、と輸出されていま

アクセスの目標は、決して、障害者だけのためのものではないと強調します,
sailing for everybody

彼の工場も、叉予想と違う物でした。
私達はオーストラリアの工場がどんな物か想像も、つきませんでした。

メルボルンの郊外に有りますが、周りには、大きな工場から、借家の工場と言えば良いのですか、長屋になっている所の一角にありました.

暫くしてから裏の空き地にグラームが私を、、連れて行きまし
そこには試作したアクセス,デンギーが10隻以上も積み重ねて、置かれていました.これにお金がかかっているんだなと、ショックを受けた物です。
                                                                                   
彼は今でも、、改良を試みております、アクセス2,3は動やら満足していますが、303の方は色々と案を話してくれました.


このボートが、単に障害者だけに止まらず、全ての人に、セーリングを楽しんで欲しいと言うのが彼の願いであり、このボートのコンセプトの全てです。

幸い、彼と我々が会った事により、彼も、私も、御互いに良く理解できたと思いました.

ボートの他に、障害者が船に乗る時の、個人用のリフト、シャトルと呼ばれるボートを運ぶ為の台車。センターボードと舵の格納する為のキール・カドル、重度障害者用の特別ないす、特別な簡易浮き桟橋など、夫々、アイデアにあふれた製品も、かんがえられており、最小限の設備で体験会が出来る様に考えています。.

私はそれらを、工場の中に見つける事が出来、来た甲斐があったと思いました.

ピーター・コスティガン・メルボルン市長に、無事会い、大阪市からの親書を、手渡す事が出来ました.、市長は、私達と会った後、直にラジオ番組に出て、セーラビリティの大阪での活動に、触れたそうで、後でクリスから教えてもらいまし
私達はメルボルン市長との写真です

達は、メルボルンに如何しても会いたい人がいました.、グラームと44日間OSAKA CUPで共に、過ごした、ヴィニーのことです。グラームは事前に彼が、メルボルンのウイリアムズタウンで、単独無寄港世界1周の準備をしていることを聞いていましたから、、大きな川を渡って、ヴィニーに会いに行きました。私もその大きな橋の下を、「ラングーン」で、通ったのを覚えていましたから、1年も経っていないのに、なんだかとっても懐かしく思いました.。私達は、元気なヴィニー会う事が出来ましたが、グラームは、それがどれほど危険であるか知っているだけに、心配そうでした.。
ヴィジョンクエストも、ソーラーパネルと、ウインドゲネレターが付けられたくさんの人が、忙しく、準備をしていました.。
3週間後に出発すると元気に応えてくれました、そして僕の為にサインをしてくれました.


軍士官学校に,在学しているグラームの息子さんに,会いにキャンベラに行きましたが、運悪く不在との事で会う事が出来ませんでした。キャンベラはとても美しい町です、しかし、最近、議事堂を建て替えたそうで、かつての議事堂の前には、アボリジの人達の、民族運動の建物があり、オーストラリアの複雑な一面を見た様に、思いました.。

私達は、サー・ウィリアム・デーン総督の住ま(お城)に行きました。アクセスデンギーのパトロンの、総督は不在で会う事が出来ませんでした。しかし、これは少しホッとした事です。広くて手入れの行き届いた庭を見せてもらいました。総督邸は、タガラ-ロング湖という人工湖に、面しており、2000年2月に開かれるオーストラリア選手権ではレース海域から邸への移動は、モーターボートになると、教えられました。


ドニーに戻ると、最後の夜は、OSAKA CUPの時の、優勝艇、セイヤーナラのロブの家に泊まりました。その悔しいほどの、素敵な家は、海に面しており、専用の桟橋には13メーターの精悍なセイヤーナラが、浮いていた.。その湾には他に、モンテーンやカルメン等の、OSAKA CUPに出ていた船のほかに、懐かしいドリーナの緑色の姿も、見る事が出ました.

シドニーオリンピックが近づいてきておりますので、この際、ホームブッシュベイの会場に、行ってはとマリーに勧められて、見物に行ってきました。オーストラリア・スタジアムに、入る事が出来ました。


2週間の旅は、あっという間に終りました.今度も、色んな友達を得る事が出来ました.信頼できる友と言うのは、そんなに多く出来る物ではありませんが、今年1999年は、私にとって、信頼できる友達が、たくさん出来た良い年だったと感謝しております。
西井伸嘉



1999年11月セイラビリティの活動を勉強の為に、2週間滞在した時の写真集です



グラーム・ピーター、コスティガンメルボルン市長・西井

ピーターコスティガン市長に、磯村大阪市長の親書を渡す。

グラームさんちの、ブッチ君は、何時も石の亀と一緒だ

グラームの家、ここに殆ど滞在していた。前にあるのは、グラームのは-レイダビットソン。

サンドリンガム・ヨットクラブで、ジェリーと再会、奥さんも加わって、ゲームを楽しんだ

My name is Vinny. I have just finished the race to OSAKA. .And now I set san around world.

Believe in your self. And always live your Dream.



ヴィニー・NOBI・グラーム

ウンドジェネレターとソーラーパネルが、加えられている。

ここがアクセスデンギーの生まれる所、クリスのバンと、我々が乗ってきたレンタカー、この日は休日。

メルボルンでのComing and try

メルボルン・ヨットスコードロンでの、グラーム

裏庭に置いてあった、アクセスデンギーの試作品

タガラーロング湖に面した、Governer General邸の船着き場

Governer General の庭で

タガラーロング湖に面した、Governer General邸の船着き場

ロブ・ドル-リイー家のベランダからの眺めは住人は満足しているとのこと、これで満足できない人がいたら、お目にかかりたい。

家の前庭には、専用の船着き場があり、ヘイマン、アイランドレースから、帰ってきたセイヤーナラが、次のコフハーバーでのレースを精悍な姿で待っていた。



ロブ・ドル-リーとセイヤーナラの前で

シドニー・ホームブッシュ・ベイのオリンピックスタジアムは、迫力が有りました.。