NOVEMBER 2000 

 海がくれた天使の羽



 


 岡山県南部、美しい瀬戸内の島々を望む牛窓ヨットハーバー。去る9月15〜17日、6.5mのヨットで世界一周の旅に出る瀧本秀人さん(38歳)を応援するイベントが開かれた。10月中旬に出航予定のヨット〈夢丸〉の船体に、地元の子供たちをはじめとして広く一般の人たちに手形を押してもらおうというのだ。イベントは大いに盛り上がった(詳細は次号でご報告します)のだが、併催されたディンギー体験試乗会で私が見た光景を全国の皆様に是非ともご紹介したくなったのでお伝えすることにしよう。
 電動車椅子に乗ったひとりの青年が桟橋の上を移動して、ディンギーが繋げられている所へ向かっていた。やがてボランティアの人たちにライフジャケットを着用してもらい、支えられながら車椅子から降りる。這いつくばり、ディンギーの縁に身体をにじり寄せる。不自由な身体をディンギーの中へ入れようとする。周囲も手を差し伸べるのだが、必死で自力で身を投じようとする。そうしてなんとかベンチシートに落ち着く。
 左手にジョイスティックティラーを握り、右手にメインシートを絡める。シートを握ることはできない。ここで私は今まで見たことのない光景に出逢う。桟橋にいた、ヨットに乗るのは今日が初めてという健常者の青年が、ライフジャケットを着用して身障者の青年の横に乗り始めたのだ。周囲の人たちは何くわぬ顔をして成り行きを見ている。
 すぐに二人が乗ったディンギーはするすると滑り始めた。4〜5mの風を受け、ヨットは快走する。舵さばきも見事だ。私の不安をよそに、港内を自由自在に走っている。身障者の青年が、健常者の初体験セーリングのスキッパーを務めているのである。
 青年の名前は小田浩さん(30歳)。乗っているディンギーはオーストラリアで身障者用に開発されたアクセスディンギー。このヨットを使い大阪の藤本増夫さんが中心となって始めたセイラビリティーの活動は全国に広がり始め、ここ牛窓にも波及した。地元ヨットマン有志で組織された「ヨットボランティア・スナメリの会」がオーストラリアから購入したディンギーなのだ。この会が〈夢丸〉支援の母体となっていると聞きつけ、小田青年は大阪から駆けつけたのだという。



健常者を乗せて操船する小田さん(左)。
なおセイラビリティーの活動については、
E-mail:fujimoto@kiboujuku.comで問い合わせを


 小田さんは昨年の秋にこのアクセスディンギーと出逢い、それ以来セーリングの虜になった。乗れる機会があるごとにハーバーに出かけ、一人で長い時間セーリングを楽しんでいる。 「イベントなどで順番がある時にも、時間が過ぎても帰ってこないほど夢中になって困るくらいなんですよ」とボランティアの人は言う。今年の春はキャンベラで行われたオーストラリア選手権にも参加した。パーティー会場では、参加できたのが嬉しくて電動車椅子のバッテリーが無くなるまで踊っていたという。
 アクセスディンギーは多少の風では倒れることがない構造になっている。舵と連動するジョイスティックは自分の行きたい方向へ倒せば、そちらへ方向転換するようになっている。生まれながらにして手足が不自由だった小田さんは、電動車椅子のジョイスティックの操作はそれこそ身体の一部のようなもの。アクセスディンギーのジョイスティックは陸の日常生活とまったく差のない、身体の一部になった。むしろ、彼にとってはバリアだらけの陸とは違い、何のバリアもない海へ、自分だけの力で自由に羽ばたくことのできる“羽”を得たようなものなのである。
 これまで何度も開催されている体験会では、不自由な我が子が自分の力で海の上を自由自在に走る姿を初めて見る親たちは、目にいっぱい涙を浮かべるという。近くにいるボランティアたちは、その度にもらい泣きをするのだという。
 次に小田青年は5〜6歳くらいの女の子を乗せて走り始めた。女の子にも何も偏見がない。青年と少女を乗せたヨットが、嬉しそうに海の上を舞っている。少し風が増してきたようだ。不自由な手がもどかしそうだ。なかなか思うように操船ができずにいる。助けるものはいない。少女は少し不安そう。やや苦労はしたものの難なく桟橋にたどり着いた。と同時に、彼が苦しそうな顔で大きく口を開き、声にはならない声で少女に向かって「ごめんね」と叫んだのを私は聞いた。そして、涙した。

                                    KAZI編集長


                            田久保 雅己

KAZI 2000年11月号より


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